連休の中日だったけど結構大勢集まっていた
先生も4名来てくださっていた
幹事さん苦労したんだろうな
懐かしい顔
懐かしいエピソード
自分は忘れていた自分の話
自分は知らなかった自分の話
みんなの波乱万丈な卒業して43年の人生
久しぶりにとてもこころ穏やかに
和める時間を過ごせた
なんかすっごく優しくなっている自分がいた
所用で2次会は参加できなかったのが残念
また次も参加したいな
生命に関わる病気で緊急入院していた。
救急車で運ばれたのだが
意識朦朧としていて良く覚えていない。
とりあえず救急隊員の方と医者の先生のおかげで
生還することができた。
退院してリハビリをしながら体力の回復を図っていたが
そんな時TVのCMであの懐かしいオリンパスペンの一眼がデジタルで復活したのを視た。
40年前中学生の時にとっても欲しかったカメラの復活だった。
病気をして考え方が変わって「やりたい事は生きてるうちにやっておこう。」となっていきなりカメラを買った。
40年前雲の上の存在だったN社、憧れのN社
N社の初心者モデルを買った!
生きてて良かったなどと思いながら
早速、近くの城址公園に撮影に行った。
ヘタだった・・・・
うまく撮れたらこのブログにのせようと思う。
しかたなく地デジ対応のハイビジョンTVを買った。
ハイビジョンの映像を見て「きれいだ」と思ったとたん
昭和38〜39年に頭がスリップした。
昭和39年の東京オリンピックにそなえてウチでも
カラーテレビを買った。
カラーテレビがきても当時はモノクロ放送が
ほとんどでカラー放送がなかなか視られなかった。
新聞のテレビ欄にカラー放送の場合、番組名の頭に
「カラー」と表示されていた状態だった。
カラー放送を視た時に家族一同「きれいだね〜。」と
声を合わせて感動したのを憶えている。
特に子供向けの番組は少なかった気がするが
「ひょっこりひょうたん島」がいち早くカラーになった。
ワクワクしながらその日を待った。
ひょうたん島がカラー放送になって
ガバチョの服はこんな色なんだ〜
博士もこんな色だったんだ〜
「なんてキレイなんだ〜。」と遊びを早く切り上げて
家に帰って毎日感動していた。
昭和30年代は色が乏しい世界だった。
都内に住んでいても想い出はモノクロの世界。
東京オリンピックから劇的に変わったのだろう。
色が溢れる世界になっていく。
日本人も変わっていく。
ハナタレ小僧やガンコじじいはどこへいったのだろう。
夏休みに3泊4日くらいで
豊島区の施設があった千葉の岩井に行った。
蒸気機関車で行ったのを憶えている。
トンネルの中で煙が客車に入って
咽かえって○ロってしまった。
そんな記憶があるので間違いない。
普通に蒸気機関車が運行されていたのかは定かではない。
豊島区の施設はえらくボロだった。
昭和30年代でも「きたね〜」というレベルだ。
ただっぴろい部屋で廻り廊下があり
そのつきあたりは汲み取り便所だった。
メシもその部屋で喰っていた。
自分らの班はその汲み取りに一番近いところの
席で喰わされた。
当然「くさい」
ぶつくさ言いながらメシはしっかり喰ったと思う。
その時、生まれて初めて「アジの開き」を喰った。
こんなに美味いものがこの世にあるのか
と思うほど美味かった。
東京に帰ってからもお袋に頼んでアジの開きを喰った。
今でもアジの開きは大好物だが
汲み取りの臭いを思い出し「くさや」は酒を飲むように
なるまで喰えなかった。
海で泳いだはずだが
その記憶は全く無い。
豊島区の施設があったからだ。
施設の間取り図に「テラス」という言葉があった。
当時の子供達には初めて聞く言葉だった。
誰かが「テラスってきれいなんだぜ!」と
でかい声で叫んだ。
「テラス」はきれいな場所なんだ〜ということで落ち着いた。
長瀞はご存知の通り、岩と川の織り成す風景の美しい所だ。
でも記憶にはない。
記憶にあるのは施設の「テラス」とお土産の「ろう石」だ。
「テラス」は別にきれいでも何でもなかった。
当時の子供達はこんなもんだったのだろう。
横文字はかっこいいと思い込んでいたと思う。
長瀞の川へ行く途中に土産物屋がいっぱい並んでいた。
そこでビニール袋にいっぱい「ろう石」が入った土産が売っていた。
かなり大勢の男子が買っていた。
当時の子供でも買えたのだから安かったのだろう。
あの頃の子供達にとって「ろう石」は必需品だった。
道路にベースやプレートを描いて三角ベースの野球
道路に描くケンケンパッの丸い枠
道路に描くチェリングのゴール
道路に描くゼロ戦や一式陸攻
雑司ヶ谷霊園の壁に落書き等々
あちこちにろう石で描きまくっていた。
思えば道路は遊び場だった。
成長とともに道路で遊ばなくなり
いつしか道路は車のものになった。
いろいろな商売の人が廻って来ていた。
ふと思い出したのがチャリでくる魚屋だ。
ちょうど今の区立保育園の脇で良く見かけた。
チャリの荷台に大きな箱を積んで
そこに魚やら魚を捌く道具が入っていた。
丸ごとの魚なのでお客の求めで
その場で魚を捌いていた。
戸張花屋さんの井戸を使って洗いながら
捌くのだが これが娯楽のすくなかった
昭和30年代のガキにとっては面白い見世物だった。
いつのまにやらガキが集まり(男の子ばかりだが)
魚が下ろされる様子を見物していた。
思えば何も考えずに見ていたが
そんなことから「命」という事を
学んでいたのかもしれない
昭和の街角の光景だった。
アレンジメントがいたるところに飾ってある。
ウチの奥様が彩香のホビーコースを受講した時に
造ったものだ。

自分はこれがかなり好きだ。
天然の花の香りに癒される。
殺風景な事務所もこのおかげで華やかになった。
この彩香とウチとのコラボが実現した。
軽井沢デザインの「アート彩香」アレンジメントを創りたいと
長い間考えていた。
12月にやっと実現し、軽井沢デザインの彩香を販売をする
ネットショップを開設できた。

軽井沢9Forest という名のショップ。
コレから徐々に取扱う彩香を拡充できたら良いと思う。
ゆったりゆっくり進みたい。
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